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軽米鎮座八幡宮は、品陀別尊(ホンダワケノミコト、第15代応神天皇)をご祭神とする神社です。

 

  御祭神の御神徳:

清和源氏が八幡宮を氏神としたことから、武の神、戦の神として信仰されてきましたが、現在では勝負の神様として「必勝祈願」や、人生は勝負との考えから「商売繁盛、交通安全、開運招福、病気平癒、厄払い、安産祈願」など諸願成就の御神徳を載いています。

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軽米八幡宮の概要

軽米鎮座八幡宮の由来

軽米鎮座八幡宮は、室町時代の永禄年間(1558~1569年)に創建されたと伝えられています。江戸時代(貞享年間1684~1689)の山火事により宝物および墨付け等が消失したため、確かな記録は残っていませんが、戦国時代に軽米城主であった軽米兵右衛門という武士が、八幡宮を守護神として勧請し祀ったことが考えられます。

神社創建の頃には、北奥羽一体に勢力を誇り豊臣秀吉の天下統一に最期まで抵抗した「九戸政實の乱」で知られる宮野城主(九戸城)九戸政實も、参拝をしたと伝えられています。 元文5年(1740年)庚申9月15日に、ご神体が焼失したままだったことを憂いた軽米村外川目の住人、長内源太夫助定が「御神鏡」一面を、軽米八幡宮の「御神体」として奉納しました。それ以降280年以上に渡り、当八幡宮の「御神体」として祀られています。

秋葉神社

御祭神:

火之迦具土神(ホノカグツチノカミ、火防の神)

​秋葉三尺坊大権現(アキバサンジャクボウダイゴンゲン、火防の神)

明和・安永の頃(1770年前後)に、大町付近で数年連続の大火に遇ったことから、天明元年(1781年)に町の有志が相談し、火災予防の守護神として名高い遠江国(静岡県)秋葉山に詣でて分霊を仰いだことが始まりとなります。翌二年に町の大工、水沢惣八によって神輿が造られました。神霊をお祀りしてから不思議と大火はなくなったとされ、今でも秋祭りの際には消防団が火防の意味でお供として行列に加わっています。

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猿田彦立像

御祭神:

猿田彦命(サルタヒコノミコト)

 

猿田彦命とは、古事記および日本書紀に登場する、天照大御神の孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)が高天原から天孫降臨したときに先導して道案内した国津神です。

 

文政十一年(1828年)に、当社独自のものと思われる「猿田彦命(天狗)立像」が、君成田の彫刻師、永井久右衛門により作られました。お祭りの行列では、一般的には天狗の面をつけた人間が先導して歩くものですが、当社では日本最大級と思われる3メートルを超える立像を台車に乗せて練り歩きます。昭和56年4月、この立像は軽米町の有形文化財(彫刻)に指定されました。

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白山比咩神社

御祭神:

白山比咩神(菊理媛尊と同一神といわれる)(シラヤマヒメノカミ、ククリヒメノミコト、縁結びの神・いさかいを取り成す神)

菊理媛尊は日本書紀に登場し、伊弉冉尊(イザナミ)と伊奘諾尊(イザナギ)を仲直りさせたとして、縁結びの女神とされています。

当社が鎮座するこの地は、古くは「白林」と呼ばれ白山比咩神を祀る祠が存在していたことがわかりました。ふしぎないわれもあり、現御社殿の完成後である昭和61年に、本殿左側奥に建立しました。ぜひ縁結びの神、和合の神である白山比咩神社もご参拝ください。

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